平成8年頃からの数年は、 医協の事業環境の整備調整が事業展開の上で特に大切な意義を持ちました。 その役割りを、 先生は静かに重厚に果たしてくれました。 いつでも間 (ま) 合いをきちんとおき、 温容をもって対されましたが、 会議前、 事務局との打ち合わせなどでは、 その横顔に、 おやっと思う程の鋭い真剣さが見えることがあり、 説明する方は気がついてないだろうなあとよくながめていたものです。 然し、 自みらの才幹は包んで見せない、 いわば韜光養徳のかただったようで、 穏やかな風格や、 おのずからな間 (ま) はそのあたりから醸し出されていたのでしょう。 札幌で会議の折、 千歳からの車中で席を同じくし、 終始、 いつになく真剣な面持ちで詳細に色々と聴き糺されたことがあります。 医協創設の動機や経緯、 具体的な創立の運び、 それから現況にいたる事業経過の分析や反省点、 これからの見通し、 全医協連会員 (組会) としての意義等々で、 すきの無い詰め方に気押されながら、 いつか何もかも洗い浚い語りつくしていました。 丁度、 時期的に総務担当にふみこむ頃だったなとおもいあたり、 改めて配心の程に感じ入った次第です。 果せる哉、 その後の数年間、 文字通り 「大徳は官せず、 大道は器ならず」、 まことに公正、 重厚に責務を果されました。 当然、 期待は次第に膨らみつつありましたのに、 突如としての難病発症です。 晴天の霹靂、 大きな衝撃でした。 お見舞の日、 石を抱えるような心情で冷たい固い廊下を踏み、 曲りくねって奥まった病室に着き、 ひと呼吸ののちに心を決めてうかがいました。 淡く暗い病室の中、 逆光に、 痛々しく病衣の先生の輪郭が浮かび、 ややあって、 つと衣紋を整え、 背すじを正される気配のあと、 明晰な声音の一語、 一語・・・・・・ いそがしいときに やすんで・しまって もうしわけ・ありません ・・・ このことばのあとは何も申されず、 ただ佇立したままでの当方はしたたかにこころ打たれているばかりでした。 病勢あきらかな折、 何ゆえに、 かくも冷静に・・・・・・、 とも・・・・・・。 今となっては、 組織に贈られた 「遜譲」 のメッセージであったと感受いたしております。 逝かれて、 60有余日、 大きな喪失感はなお如何ともし難いのですが、 これから波高い医協の前途に立ち向うにつけ、 しかと銘記されるべき真摯な戦友であり、 気骨、 足跡であったと存じ上げております。 先生・・・・・・有り難うございました。
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