いわてのこんなところ 石川木と報恩寺の詩碑
盛岡市医師会 鈴木 恒男

 盛岡市北山の報恩寺。 五百羅漢でも知られた名刹だが山門入口に木の詩が紹介されている。
 一日小雨の中、 羅漢堂を参拝したが薄暗く無人、 静寂そのものの堂内は悲哀、 歓喜、 憤怒、 煩悩、 慈悲、 平穏等の羅漢像の表情と声なき声が重なり合って満ち溢れているようだった。
 木は盛岡中学時代この一帯を好んで吟行の杖をひいたとある。 彼の処女詩集 「あこがれ」 に収められた 「落瓦の賦」 のはしがきには 「菩提老樹の風に嘯(ウソ)ぶく所。 年進み時流れて、 今寒寺寂身の身、 一夕銅鉦の揺曳に心動き、 追懐の情禁じ難く、 乃(スナワ)ち筆を取りてこの一篇を草しぬ」 とある。
報恩寺山門
報恩寺山門
山門左手の五百羅漢像の説明
山門左手の五百羅漢像の説明
 この詩が生まれたのは明治36年2月16日の夜のことで、 木18才の早春である。 数夜で完成したこと自体信じられないが、 あまりの調律と韻の調和にしばし詩碑の前を立ち去れなかった。 26才で夭折した木の渾身の作である。 是非とも声に出して読んでいただきたい。
  「落瓦の賦」 最後の章は次のようなものであった。

琴を抱いて、目をあげて、無垢の白蓮曼陀羅華、 靄(モヤ)と香を吹き霊の座をめぐると聞ける西の方、 涙のごいて眺むれば、 済みたる空に秋の雲、
今か黄金の色流し、 空廊百代の夢深き、
伽藍一夕風もなく、 にわかに壊れほろぶ如、
或は天授の爪ぶりに、 一生(ヒトヨ)の望み奏で了へし、 巨人終焉に入る如く、 暗の戦呼をあとに見て、 光の幕を引き締め、 暮暉(ユウヒ)天路に沈みたり。



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