平成3年3月に「いわて醫師協同組合だより」として第1号が発行された本誌は、平成28年1月号をもって記念すべき100号となりました。平成2年のいわて医師協同組合の創立に伴い、組合員の共同事業の発展を願って発行されて以来25年余り。不況による経済の停滞や大災害などにも遭遇した目まぐるしい時代の変遷を、誌面でお伝えした主な出来事とともに振り返ってみました。
創刊号(平成3年3月発行)
記念すべき創刊号では、八木理事長がいわて医師協同組合設立の趣旨を述べています。また、表紙の題字は八木理事長のお手をわずらわしました。
いわて医師協同組合設立にあたって
理事長 八木 義郎
医師国保組合の行う福祉事業にはおのずから限度があることは申すまでもないことで、これを補うために岩手県医師国保組合は、その下部組織として任意団体である共済会を設立しました。
昭和50年発足以来、共済会は医師国保組合の行う福祉事業の補完的役割に任じながら、さらに労働保険事務組合を運営するなど会員の福祉の向上に大きく寄与してまいりました。近来産業構造の変化と共に高齢化社会への急速な移行に伴って医療保険制度も大きく変革し、開業医など中小医業経営者の行先は極めて厳しい環境に追い込まれております。
このような現状にあって、私どもは会員個々の生活基盤の安定、充実のための方策を種々模索してまいりましたが、共済会事業の拡大にも限度があることなどから、かねてからの懸案であった医師協同組合の設立について前向きに取り組むべき時期が到来したとの判断のもとに、平成2年7月開催の第32回共済会総代会にこれを諮りましたところ、幸いにも全員の賛成を得たので、直ちに準備委員会を設置して鋭意調査研究を進め、発足に向け諸準備を整えることといたしました。
準備委員会からの成案を受けた発起人会は、さらに検討を加えながら全国医師協同組合連合会並びに岩手県中小企業団体中央会のご指導を頂いて、平成2年11月17日協同組合創立総会を開催する運びとなったのであります。協同組合の事業の発展はあくまでも活発な経済的共同事業の推進によって達成されるものであり、従って組合員一人一人が積極的に共同事業に参加することが基本であることに思いをいたさねばならないでしょう。
いわて医師協同組合は、その発足の原点が組合員の福利厚生に主眼を置いたものであるという、やや、ユニークな色彩を帯びておりますが、構成員が医師であるとの自覚のもとに、特に公害、環境の問題等に意を用いながら地域社会への還元と、必ずしも事業の上の利益に結び付かぬ分野への配慮も念頭に置くべきであることを強調したいのであります。
元来私どもは経済活動には馴染みにくい、しかもこれからは全く経験のない分野も切り開いて行かねばなりません。それだけに未知への遭遇という緊張感と同時に沸き立つ意欲を覚えるのであります。
(一部略)
第2号(平成3年4月発行)
本格的な広報活動を開始した第2号には、医師協の事業内容を掲載。主体となる三つの事業部は、担当者の似顔絵付きで組合員の利用を呼びかけました。
第15号(平成6年11月発行)
全国医師協同組合連合会の通常総会が22回目にして初めて盛岡で開催され、総会や懇親会、ゴルフコンペなどが行われました。その盛況ぶりを6ページにわたって報じました。
また、この号では医療廃棄物の適正処理事業実現化に向け、盛岡市医師会をモデル地区として開始されたこともお知らせしています。
第18号(平成7年7月発行)
新理事長に小野寺弘之専務理事が就任しました。
ご 挨 拶
理事長 小野寺 弘之
5月27日開催の第5回いわて医師協同組合通常総代会に於て、私こと理事長に選出いただきました。組合員を取り巻く環境の厳しさや、医協設立の意義を考えるとき、責任の重さに身の引き締まる思いであります。
就きましては、設立以来約5年間に及ぶ医協役員の経験をもとにして、役職員の方々の協力と組合員みなさんのご支援、ご鞭撻をいただき、組合事業発展のため真剣に努力する所存でございますので、どうぞよろしくお願いいたします。
前理事長、八木義郎先生は、長年、医師の協同組合構想をあたためてこられ、平成2年12月いわて医協発足の後は鋭意その発展を期して尽瘁されました。尚、引き続き医協相談役となっていただいております。
岩手県医師会による医師福祉事業、つとに、大きく県医師会員の全体を包含し、対象として行われてまいり、その恩恵成果の程は長年月に亘っての実績に徴するまでもなく明らかであります。いわて医協も、(中間法人)経済組織としての特性を生かし、その一分野を負担する心算をもって活動してまいります。
昨年度も、事業展開乃至利用状況など順当に経過いたしましたが、今年も又、組合員各位の共同事業への参加としてのご協力、事業利用によって、安定した経営を目指し、更に努力してゆきたいと思います。
みなさんのご支援を重ねてお願い申し上げ、ご挨拶といたします。
◆第6号から裏表紙で「岩手のお祭り」を躍動感あふれる写真とともに紹介。このシリーズは第16号まで続きました。
第23号(平成8年10月発行)
表紙のタイトルが「いわて醫師協同組合だより」から「いわて医師協だより」に変更になりました。デザインも少し手を加え、スッキリしたイメージに。
また、裏表紙には新たに「岩手の四季」が美しい風景写真とともに掲載されました。
第33号(平成11年4月発行)
いよいよ時代はIT革命の時代に入り、医師協ホームページの開設を大々的にお知らせしました。
第73号(平成21年4月発行)
「いわて医師協同組合」創立20年を目前に、第73号から誌面を刷新しました。これまでのB5版横書きからA4版縦書きになり、内容も新しいコラムやシリーズものの記事などが始まりました。
組合員の皆さんに役立つニュースをわかりやすく伝えたい
理事長 眞瀬 静
組合員の皆様、ご家族の皆様、ご健勝にお暮らしのこと心よりお喜び申し上げます。
「いわて医師協同組合」も来年度は、創立以来20年という歴史を刻む予定であります。組合員の皆様の変わらないご支援、ご協力により順調に推移して参りました。組合員の皆様、医療関連団体の皆様に役職員を代表して心より感謝申し上げます。
さて、「いわて医師協同組合」の発行する「いわて医師協だより」も発行から第72号を重ねました。これまでも組合員の皆様のご投稿、貴重なご写真の提供などにより、漸次、誌面の充実を図ってまいりました。昨年度来より、誌面の改編を検討して参り、本年4月発行分(第73号)から誌面をリニューアルすることになりました。
組合員の皆様のご協力により編集するという基本方針には変わりませんが、内容につきましては、これまで以上に組合員の皆様にお役に立てるように詳細な商品情報を重点的に掲載し、「いわて医師協同組合」のさらなる経営基盤の充実の一端を担えればと思います。
今後とも「いわて医師協だより」をお読みいただけるように、広報担当の役職員は日々努力を重ねるつもりでおります。これまでにも増して組合員の皆様のご協力が欠かせないものとなりますので、お気づきのことがありましたら、逐次事務局にご意見をお寄せいただければ、誌面に積極的に反映させることをお約束いたします。
◆新しく設けられた記事
・エリア13
・我が家のペット
◆第74号からは組合員の先生方を紹介する「人物クローズアップ」が始まりました。
第81号(平成23年4月発行)
平成23年3月11日、東日本大震災が発生。岩手県沿岸地方も未曽有の被害に見舞われました。「医師協だより」は通常の記事を休止し、組合員の先生方の安否情報、被災地訪問や現場視察記など、震災関連の記事で埋め尽くされました。
◆大震災から2年目の第88号では、復興へ向かって歩みを進める県北沿岸の様子を報じています。
そして、次の時代へ
平成27年7月に新しい理事長に前川滋専務理事が就任。新体制のもと、第101号からまた新しい記事なども加え、組合員の皆様に有益な情報を充実させていきます。今後ともご愛読をよろしくお願いいたします。
特別寄稿 (1)
楽しみながら成長できた医協活動
いわて医師協同組合 前々情報部担当常務理事 菅原 克郎
私は、平成14年5月の総代会で常務理事(広報担当)に就任した。眞瀬静前理事長のご配慮であろう。本当に感謝している。顧みると、その頃が、今まで生きた中で最も輝いていた時期であったと思う……。話が遺書めいて申し訳ない。
その年の秋、全医協連の総会が東京・台場のホテルグランパシフィックメリディアンで開催され、いわて医師協同組合から眞瀬理事長、小原紀彰専務理事のお供として参加した。偶然のことだが、総会後の懇親会参加者名簿に、娘が翌年春に就職が内定した会社の役員のお名前を見つけた。挨拶に行くことを躊躇していたが、小原専務理事からは「挨拶したほうが良いよ」というアドバイスがあり伺った。その方は就職試験で娘の面接を担当した方で「何故、盛岡から京都の学校(立命館大)に行ったの?」と質問し「強く印象に残っている」とのこと、小原専務理事からは「今日の会合は、お前さんに大きな収穫があったな!」と。
平成17年から2年間全医協連の広報部員となったが、当初、サッパリ仕事を与えられず、会議に向かう足取りは重かった。ある時から、一つのコーナーを任せられた。県医師会報に毎月号投稿していた数字にちなんだ小話「ナンバーズ」、その中からピックアップして「全医協ニュース」に「南蛮図」と題して約6年間、見開き2頁の執筆をした。この文章は、全国各地の先輩、大学の同級生からも「楽しみで、真っ先に見ているよ!」という多くの嬉しいお言葉を頂き、思わぬ反響に驚かされた。この様に医協活動は、楽しい思い出と共に自分自身も少しは成長出来たと思う。
私は昭和62年に開業、開業医の輝かしい時代から受難の時代への変遷を見てきた。これまでの医協の事業は、眞瀬前理事長と役職員の努力で順調な運営状況であったが、これからは社会全体が落潮傾向であり、運営も大変だと思う。今後も「いわて医師協同組合」の発展を心から祈っている。
特別寄稿 (2)
忘れられない広報活動の思い出
いわて医師協同組合 前情報部担当常務理事 逢坂 宇一
本号2016 WINTER号が100号を迎えたこと、まことにおめでとうございます。
私は平成24年5月に購買部から情報部に配置換えとなり、平成26年5月までの2年間、諸先輩から受け継いだ伝統あるいわて医協の会報「いわて医師協だより」の担当となり、その重圧を感じながら編集しておりました。苦心したのは広告が結構目立つ会報に、いかに面白い連載物を継続して行くかでしたが、前担当者の菅原克郎常務理事が大変良く編集しておられたので助かりました。その後、私の力不足で人物クローズアップ、コラム一灯、我が家のペット等の投稿者を決めることが、事務局と私が苦労する仕事となりました。表紙を飾る写真も然りで快く引き受けて下さった先生方に深く感謝しております。
また、情報部担当の他に東北・北海道ブロック代表で、全国医師協同組合連合会の広報部部会員を受け持ったことも思い出に残る経験でした。年4回の広報部会のため上京しました。ようやく平成27年10月4日の広報部会を以ってその任務を終えました。部会員としての仕事では、全医協連会報「JMCニュース」の書籍紹介のコーナー、編集後記や、総会の執筆が順番で回ってきて、結構緊張して書いたことが懐かしく思い出されます。
書籍紹介担当で忘れられないのが平成27年5月発行された「いのちの砦 釜石医師会に訊け」の紹介記事が平成27年の「JMCニュース10月号」に掲載されたことでした。本書の内容は平成23年3月11日に起きた東日本大震災において釜石医師会が歯科医師会、薬剤師会、そして行政と連携し、大きな砦となって被災地の釜石大槌地域を支えたというノンフィクションです。釜石医師会の全面的な支援を得て、この書籍の紹介記事を掲載できたことはこの上ない喜びでした。当医院の待合室に置いたJMCニュースで「いのちの砦」の紹介記事を見た患者さんが、「読みました。いい本です、感動しました」と自ら購入した本書を私に掲げた時には、とてもうれしくなりました。