家と人をめぐる視点

第11回

日本のドアとスリッパ文化の裏事情。

住宅・生活誌「家と人。」編集長 加藤 大志朗

日本のドアが外開きのままの理由

引き戸は日本固有の建具ですが、日本では現在、ほぼ全ての建築物で西洋生まれのドアが使われています。

ドアといえば、室内側に開く内開きが本来のかたち。外敵が中に入ってこようとしたとき、内開きのドアであれば、全体重をかけてドアを押して閉め、家具を立て掛けるなどして侵入を防ぐという防犯上の機能が、内開きになった原点といわれます。

もちろん、機能面のメリットもあります。狭い廊下などでは、廊下側にドアを引いて開けると、廊下を通っている人とぶつかってしまい危険。部屋に向かって開くことで出入りはスムーズとなり、日本でもホテルやオフィスビルでは内開きが採用されています。

しかし、住居となると、日本のドアのほとんどが外開きといっていいでしょう。

歴史をさかのぼれば、古来、日本人は大地をケガレと考え、住居を神聖な場と考えました。伝統建築によく見られる垣根、門、敷居、玄関、上がり框などは、外部のケガレの侵入を防ぐための境界、結界を意味しているのかもしれません。

また、日本の気候は高温多湿のため、縁の下をつくることで床に湿気が溜まることを防いできました。外と住居の間に段差ができ、この段差ゆえに「家に上がる」という表現が生まれたのです。

外敵から襲われる心配がほとんどなかった日本では、つい最近まで、玄関を施錠する習慣もなく、履物を脱いで家の中でくつろぐことのできる空間を得ていたともいえます。

床の上に直接座る習慣は家の中を清潔に保とうとする文化を育み、時代劇などでよく観る、汚れた足をきれいに洗って家屋や旅籠の中に入る光景は、現代に生きる私たちの暮らしの原型ともいえそうです。

スリッパから離れられない理由

こうした日本固有の文化を背景に生まれたのがスリッパです。

日本に多くの「お雇い外国人」がやって来たのが19世紀初頭。当時は西洋式のホテルも洋館もまだ少なく、外国人の宿泊先となった旅籠や寺社仏閣では、外国人が屋内に土足で入ろうとして多くのトラブルが生まれました。

困り果てた横浜居留地の外国人が、東京の仕立屋に靴の上から履くオーバーシューズを作るよう依頼してできた履物がスリッパの原型です。福沢諭吉は「西洋衣食住」(1867年)で、上草履のように使うひも靴に近いこの履物を「上沓」「スリップルス」と紹介しています。

その後、都市の上流階級からスリッパが広がり始め、日本人は靴の上ではなく、素足で履くようになりました。

戦後の50年代になると「LDK」を誇る団地や洋風住宅が急増し、草履や下駄と同じ感覚で脱ぎ履きできるスリッパは人気を呼び、居室や廊下で履くものとトイレやキッチンなど汚れやすい場所で使うものとを区別するようになっていきます。

しかし、どんなに住居や暮らしのかたちが洋風化しても、日本人はいまだに靴を室内で履くことに頑なに抵抗しているかのように見えます。

「ケガレ」の場である家の外での履物は、いまも上がり框という関所を越えられずにいるのは興味深いところです。

しかし、スリッパほど複雑な履物もありません。玄関で靴を脱ぎ、室内用のスリッパに履き替える。トイレやキッチンでは、また違うスリッパが準備され、畳や絨毯の上は、スリッパを履いたまま「上がる」ことは許されないのです。

もう一つ、スリッパが日本の住居で支持を得ている理由の一つに、床の冷たさがあります。

これまで何度かこの欄で述べましたが、断熱・気密性能が低い建物では当然、床や壁の表面温度が低く、素足で床を歩くことは足が冷え、不快です。

北海道仕様まで断熱・気密性能を上げ、床や壁にも熱を溜め、放射熱を利用できるようになると、床や壁の表面温度が18℃以下になることはなく、四季を通じて、素足での暮らしが可能となります。

せっかく重厚な無垢の木で床を造作しても、百均で買ったスリッパでパタパタ音を立てて歩いているのは、もったいない気がします。

ここまで頑なに家のなかでの履物を拒んできたのですから、そろそろスリッパからも卒業し、新しい生活文化、いえ、日本の住文化の原点に還ることを期待したいものです。


現代の住居でも当たり前のように玄関には上がり框が設けられる。将来、さらに暮らしが洋風化し、土間と床に段差がなくなったとしても、框は「見切り」として残されるのではないだろうか(宮古市)。


土間は家の内と外との境界的領域をなす曖昧なエリア。西洋では外から入って靴のまま部屋に上がるが、日本では雨が多く足元が汚れやすく、居室は畳敷きだったため境界領域が必要だった。この土間の機能が若い世代の住居でも見直されている(盛岡市)。


地域のつながりが強かった時代、立ち話に寄るご近所さんとの井戸端会議の場所は土間であり、腰掛けるのは框だった。そうした機能を復活させる住居のデザインも人気(仙台市)。

かとう だいしろう (文・写真)
Daishiro Kato

1956年北海道生まれ。編集者。住宅・生活誌「家と人。」編集長。これまでに約20カ国を訪れ、国際福祉・住宅問題などの分野でルポや写真、エッセイを発表。住宅分野では30年にわたり、温熱環境の整備と居住福祉の実現を唱えてきた。主な著書に『現代の国際福祉 アジアへの接近』(中央法規出版)、『家は夏も冬も旨とすべし』(日本評論社)など。岩手県住宅政策懇話会委員。出版・編集を手掛けるリヴァープレス社代表(盛岡市)。

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