空喰書話

第1回

難病ですが

書家 沢村 澄子

成人スティル病

2018年春、ある日突然高熱が出て、慌てて近所の内科に行くとインフルエンザの検査結果は陰性。皮膚に発疹。首を傾げた先生に紹介状を持たされ、そのまま大病院へ移動。着いたのが11時で、午後2時に診察室へ入りました。

「長く待たせてスミマセン」。開口一番先生からそう言われて椅子から飛び上がったわたしは思わず、「先生が悪いのではありません!」。「入院して様子をみましょう」に再び飛び上がり(内心「えッ入院?ウソ!」)、車椅子に乗せられ診察室から病室へ。それを押してくれた看護師さんに「先生に謝られて申し訳ない気がした」と言ったら、「『スミマセン』はあの先生の口癖だから気にしないで」と返され、一緒に少し笑い、それがまさかの3カ月入院の始まりでした。

それから三晩40度の熱が続き、大量の発汗、悪寒、朦朧とした意識の合間途切れ途切れに聞こえる看護師さんたちの声。一気に発疹が全身に広がり、そのピンクのペイズリー模様は真に気味悪く不安を煽り、しかし、同時にそれは〝美〟をも孕んでいるかのようでした。「治るからね!絶対治るから!大丈夫!」と必死に薬を背中に塗ってくれる看護師さんの声に痛み入りながらもわたしは、あちこちのピンク・ペイズリーをこっそりカメラに収めました。やはりどうにも妖しく、どうにも美しかったからです。

それでも原因不明のまま症状は治まらず、先生はやはり「スミマセン」を繰り返され、わたしはそれをいつも申し訳なく聞いていましたが、その内身体がこわばり出したのにはさすがに閉口しました。痛みも凄い。髪を結わえることも、スプーンを自分の口まで運ぶことも、ついに歩くこともできなくなった時、何かしらの諦観がきました。

入院からひと月半が過ぎた頃です。外部から先生が来られ、成人スティル病という診断が下り、わたしは国指定54の難病患者になりました。そして、ステロイド治療が始まるやあっけなく身体のこわばりがとれ、熱も下がり、みるみる全ての症状が消えてゆき、大量の薬のせいか血が異常に重く感じられること以外、わたしはまるでいつもの自分を取り戻したかのようになったのです。

交感神経を意識する

プレドニン40㎖投与が始まる日の薬剤師さんの説明は「今夜は眠れないと思います」。確かにその通り、時計の音が異常に大きく聞こえる真っ暗な病室で、わたしは一睡もできずに朝を迎えました。しかし面白いことに、その間ずっと映画を観ているような感覚がして、もっと正確に言えば、自分の脳の中、そこに映し出された映像をずっと観ているかのようだったのです。内容、ストーリーは覚えていませんが、これはどこかで経験したことがある、その特大なものがやって来た!という印象が、強く記憶に残りました。

わたしは書を書き、ギャラリーや美術館などで発表していますが、日頃ほとんどは家に居ます。制作中は結構ピリピリしていて、それでも歳と共に穏やかになっていると本人は思うものの、学生時代にはわたしが書いている教室に入れないという同級生もいました。

不可解な作品を書くのでいつも批評会では散々でしたが、ある時「どうしてこんなワケのわからんものになるのか?」と先生に詰め寄られ、「自分の一番細い神経を切り割いて、その内側を書きたい!」と口走った時にはさすがに自身も驚きました。一体どうやって?

書や芸術の世界で、精神性や情趣の大事(知・情・意の円満な発達)が語られることはよくあります。けれど、自分の大事が〝神経〟とはいかなることか。口にした当人にしてよくわからず、〝神経〟はその後ずっとの懸案となりました。

締め切り前に眠れなくなることがよくあるのですが、これは、遅れた仕事を間に合わせるために寝ないのではなく、書くことが面白く、どうにも書くことを止められないから眠れないのです。その時の感じ、網膜の裏か脳内にうっすら映像が流れている、それを観ているかのような感覚が、あのプレドニン初夜とよく似ていました。眠れない原因はおそらく交感神経の異常な興奮でしょう。しかし、薬の作用でならわかりますが、では、書をしていてどうしてそこまで神経が立ってしまうのか。

わたしは最近、創造時、何かを新しく生み出す時に、人間の脳はそうなるのではないかと考えています。もちろん、寝ぼけたわたしの独り言に過ぎず、根拠は全くありませんが、創造行為に携わる時、人間は交感神経が異常に昂るのではないでしょうか。書をするといっても、稽古、習得といった行いの時の頭に、このような現象は起こりません。ゼロから何かを生み出す、そのための尋常ならざる集中の先に、眠れない夜が来るのです。見えるはずのないものが見えるような世界です。

発症してから5回目の春を迎えました。多くの方々のご支援を得て、難病ですが、わたしは元気に書を続けています。字が上手下手といったような視点で語られがちな書に、「この書は交感神経81%副交感神経19%でできている」といった観察・分析を仮設し、そこに注視すれば、作品個々にその割合の異なることを提示できるのかもしれない、などと思いながら。

自分の一番細い神経を切り拓く。そこで、神経と創造性の関係を考えています。


撮影:木奥惠三
「いろは歌」 2022 紙・墨 180×432cm
(東急歌舞伎町タワー18F BELLUSTAR TOKYO, A Pan Pacific Hotel)


さわむら すみこ (文と書)
Sumiko Sawamura

1962年大阪生まれ。書家。新潟大学教育学部特設書道科在籍中から個展による作品発表を始め、これまでに百回を超える。書を「書くこと(Writing)」と定義。「描かない(Not drawing)」という姿勢で自作と絵画を分別、2001年度岩手県美術選奨、2019年第29回宮沢賢治賞奨励賞、2023年第73回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2023年4月14日開業の東急歌舞伎町タワーに大小39点が収蔵される。2023年4月22日-6月4日 石神の丘美術館(岩手町)にて「書のよろこび 沢村澄子展」を開催。
https://sawamura-sumiko.work

「足の裏以外、全身に出ている!」と訴えた成人スティル病の発疹は抽象画のよう。皮膚科の先生は「足の裏は最後です!」。まさしくそうだった。

「花」 2020 紙・墨 23.3×32.4cm(「書のよろこび 沢村澄子展」 石神の丘美術館)

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