いわて医師協同組合 女性部総会・特別講演会
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日 時:平成16年7月13日(火) 午後6時から
場 所:ホテルルイズ3階「万葉の間」
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定刻、司会の女性部会・村井澄子幹事の開会の言葉。
【挨 拶 (要旨)】
いわて医師協同組合理事長 眞瀬 静
昨年度は、医師協同組合へのご協力ありがとうございます。不景気は改善せず、当組合も厳しい経営状況に追い込まれるかとも考えておりましたが、平穏に経過いたしました。
新年度を迎えまして、女性部の組織拡大の一環としまして県内の会員の奥様方にまでご連絡を差し上げましたが、ゆくゆくは県内全域をカバーするような組織に発展させていただきたいと考えております。
医療関係を巡る話題提供いたしますと、一つは消費税の問題です。医療の分野で健康保険に係わる部分では消費税を徴収できませんけれど、文書料・労災・自賠責・健康診断が消費税の対象になります。現在、日本医師会で対応を検討しているようでございます。
もう一つは、感染性医療廃棄物の問題でございます。何処の廃棄業者も嫌がっておりますし、岩手県は県境の多量の残留廃棄物の問題で全国的に有名になっております。業者との関係を良好にしておいてください。幸いにして現在のところ当組合と提携している業者には問題がないようです。問題が生じましたら、直接、業者に折衝することなく当組合の方へご相談ください。
女性部部長 斉藤恵子先生
1年ぶりの女性部の総会でございます。昨年は重石晃子先生のご講演を聞きながらの楽しい総会でございましたが、その後、旅行会とか色々プランはありましたが、実現できずに今日を迎えました。医師協同組合の女性部を立ち上げまして3年になりますが、現在でも医師協同組合に女性部という組織があることが少ないようです。盛岡にと止まらず県内全般に組織を拡大したら良いのではないかと思います。また、私は購買部も担当しておりますが、医療廃棄物処理、東山堂の書籍等順調に経過していますが、奥様方にも医師協同組合の購買部でこれを取り上げて欲しいというようなアイデイアがありましたら是非お申し出ください。女性部も購買部も活発にしていきたいと思いますので、是非、奥様方のパワーを頂かなければならないと思っていますので、宜しくお願いします。
【報 告】・・・村井澄子幹事より平成15年度活動報告があった。
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講演 |
座長 斉藤 恵子 先生 |
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「医院も変わる、ボランティアが変える」(講演要旨) |
| 日本社会事業大学院特別客員教授
日本フィランスロビー研究所所長
渡邊 一雄 先生
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「目が覚めて 今朝もうれしや 今日もまた この世の人であると思えば」私はこの歌をいつも講演の前に思い出すのですが、江戸時代に誰が作ったか分からない歌ですが、良い歌です。たった一回の人生でございます。
何故この年齢でこんなボランティアをするかといいますと、先程述べた「目が覚めて・・」ということと関係があります。結局、「病院が変わる、東大が変わるということとどういう関係があるの?」「医院が変わる、ボランティアが変える。一体何で変えるの?」「ボランティアなんて偽善じゃないの?」と様々な声が聞こえて参ります。「あんなもの暇な人がやっているのよ」そういう声も聞こえてまいります。
私は海外生活を20数年送ってまいりました。日本に帰ってまいりますと。日本のボランティアと海外のボランティアは違う。日本人のボランティアにペーパーテストをしますと、バラバラな意見が出てまいります。「東大病院が何をやったか?」というお話も本当は2〜3時間はかかります。本当に大事なことは「ボランティアということが皆様にとって、人生にとって何の意味があるのか?」ということを私の経験からお話したいなと思っております。
これが本日の主題でございます。「医院が変わる、ボランティアが変える」でなくて「貴方が変わる、ボランティアで変える」というようなことでお話したいと思います。
私が書きました「病院が変わる、ボランティアで変える」という本がベストセラーになりまして、朝日新聞でも取り上げられ、色々な病院関係者に読まれております。西澤潤一県立大学学長が「渡邊先生は官−公務員、企業、民間ボランティアと3つの視点で社会貢献を論じておられる貴重な存在だ。アメリカでフィランスロビーの出会いに始まり、ボランティアのことですが、企業とボランテイアの調和、社会福祉協議会、共同募金、社会改革について渡邊の独自の視点で強く、熱く語っている。ボランティアや社会貢献に携わる人達に一人でも多くに読んでもらいたい」と推薦状を書いていただきました。この中には、たまたま図書館で岩手県の「元禄世間風聞集」という本を読みました。その本に「元禄時代に南部藩ご領内に80歳以上の者747人、90歳以上の者150人、100歳以上の者75人、127歳老人1人」という記述があります。
私はこの南部家800年といいますが、岩手県は長寿国だなと思いました。この県は不思議なことが起きる。総理大臣が4人も出ている。石川木が出ている。宮沢賢治が出ている。県内の案内するときには不来方城も案内しますが、まず初めに「先人記念館」に連れて行き、業績を見せます。数々の名前を挙げた人達は男ですが、ご婦人方の強い応援があって岩手の人材が未だに闊歩している。「この県を遅れている」と言う人も居るのだろうけれども本当は多くの面で日本をリードしている。アメリカと日本あるいは国際社会と架け橋を作るという新渡戸稲造の「武士道」話が未だに語られている。岩手県から全世界に発信していることが沢山ある。案外、岩手県人はそのこと自覚していない。知っていても「そんなに偉いことなのかな?」と考えているようです。
医院とボランティア
「医院とボランティア」という話をするきっかけは、長寿社会の到来は、結局、老後は長いことになります。平均寿命男性78歳、女性85歳といっていますけれども、100歳以上まで生きるようになります。「仕事からリタイアーしてからどうやって生きてるの?」ということに注目し研究しているところもございます。旧ローマ時代にセネガという哲学者が「人生の短さ」ということについて記述しております。そのポイントは「人生に長生きの保証はない。仕事が終わる段階になって生きることを始めるには、『時既に遅し』ではないか。50代、60代から初めて人生に取り掛かろうとするのは、人間の可死性を忘れた誠に愚劣なことではないか」今から2000年前にセネガはそういうことを書いているのです。私自身はそんなことをこれっぽっちも考えることが無い企業戦士でございました。三菱電機に入りまして最初は「電気鍋」担当でありました。
それから段々変わってきましてアメリカのノースカロライナというところで資本金200億円の三菱セミコンダクターアメリカ社長に就任しました。そこで衝撃的な経験をすることになったのです。ノースカロライナ州はアメリカ東海岸のほぼ中央に位置しています。岩手県と気候風土が良く似ておりまして、アメリカの中でも最も勤勉な州でして、安全な州であります。この地に5年間おりまして、名誉市民の称号を頂きました。岩手県と是非交流してくれということです。ピーナッツ畑を10万坪買いまして、200億円投資して半導体の工場を作ったのですが、最初はグランドのような広い土地に掘っ立て小屋のような事務所で働いておりました。人事部長を現地採用しましたが、毎回、私のところに書類を持って来ます。「社長、サインしてください」「いったい何に?」。「女性のコーラスに50万円、ダンスパーティーに100万円。
エイズの団体に200万円ください。少年野球に50万円くれ」とか、寄付ばっかり。「この会社は寄付の会社ではない。うちの会社は民間企業で、半導体を作って金を稼いで税金を納めれば良いんだよ。うちの会社はケチ菱電機と言われて有名なんだ」と。そしたら、又来て「社長、今日は金は要りません。会社の近くを流れているダーラム川が汚いので、クリーンキャンペーンといって皆で清掃をするから当会社も30名くらい人手を出して欲しい。金は要らないけど、時間中です」。「駄目ですよ。会社に仕事をするために来ているんですよ。先ず仕事をしなさいよ。ボランティアは日本では暇な人がやる」。私は実績を作って早く日本へ帰りたいという気持ちでおりました。
ある日、就寝中に午前零時にベルが鳴って「社長大変です。工場が火事です。燃えています」。200億円をかけて約9割は完成していた工場が火事になった。「ついてないな、だからアメリカに来たくなかったんだ」と思いながら、雨の中、現地へ行ってみたら、暗闇にボッーと建物が残っていました。人事部長が飛んできて「社長、ボヤで終わりました」と言いますから「君が消防署へ連絡したのですか」と聞いたら「消防署なんてありません。全部ボランティアですよ。この町は貧乏ですからありません」。失業率が13%、ホームレスが一杯います。黒人比率38%で貧しい州です。だから役所はお金がないから消防署も建てられない。火事も自分たちで消すのです。市長もボランティアです。大都市は違いますが、アメリカの市長の5分の1位はボランティアで、選挙はあるんですが市長は一銭もお金を貰わない。助役以下は有給です。
この国はボランティアの国なんだ。アメリカは1920年にロンドンからボストンに清教徒がやって来て上陸したときには、インディアンしかいなかったので皆が職務を分担して今で言うNPO(非営利組織)でスタートするという歴史があったわけであります。
日本人とボランティア
2001年ボランティア国際年に「今こそ問われる日本人のボランティアか?」ということで123カ国が東京に集まりました。事前に国連から123カ国の各界のリーダーに手紙が発送されました。「貴方の国にボランティアに相当する言葉がありますか?」「貴方の国ではボランティアとは何を指しますか?」「貴方のボランティアの動機は何ですか?」「社会にどういう影響を与えていますか?」「貴方の国ではボランティアを敵対視していますか?」こういう質問が来ました。私はその時に「何でボランティアをしなければならないんだ?ボランティアは良いことだ、人に親切にすることは良いことだ。仕事を一生懸命することが社会のためになっているのだ」とこの問題を乗り切らないでボランティアに入ってゆくことは危険です。今、日本がボランティアの問題が混乱状態になっているのは、こういうことをしっかり把握しないで行くから途中で潰れてしまいます。
私もこの20年間悩み続けてまいりましたし、東大でのこともボランティア団体の綺麗事の成功話ではありませんが、世の中も変わり、官僚も変わってまいりました。私は工場が火事になったときにアメリカはそうであると言われましたが、「日本は違うよ」と答えましたし、消火活動に従事した方にはお礼を言いに行きましたし、アメリカだから、むしろきちんとした消防署を何で作らないのだろうか、それから1ヶ月くらい経ってまた問題が起こりました。
当時、20歳の娘と現地に行っておりました。突然、夜中に娘が腹痛を訴えました。アメリカの救急番号である911に電話をしました。救急車が来ました。運転士をしていたのが、その日の昼に大喧嘩をしたコンピュター会社の5千人の従業員を抱える社長でした。大変評判の良い男です。彼はハーバードを出ているから、大会社の社長さんだから尊敬されていると私は思っていましたが、「私は週2回、夕食を済ましてから救急病院で運転ボランティアをしている。偶々、今日行ったら電話があったから来たんです」と言って娘を病院へ連れて行きました。本当に頭を殴られたようなショックを受けました。
私も一応社長として一生懸命働いており、ボランティアは暇な人がやるんだ。しかし、彼も会社では分刻みのスケジュールをこなしている人なのです。それでも夜中にボランティアをやっている。市民からも社員からも尊敬を集めている。その反面、渡邊は何だ!市民からも社員からも嫌われている。一体自分は何のために生きているんだ。悲しかったです、当時45歳、人生の分岐点、三菱のために一生懸命働いて社長まで登りつめた。
それが人間としての成功と思っていたが、私は嫌われていた。東大病院である時、有名な会社の社長が入院してきました。多くの胡蝶蘭に囲まれていましたが「水を持って来い」とか看護師さんを怒鳴り散らしておりましたが、亡くなった時に、看護師さん達が集まって「良かったね」と言っておりました。「あの人が居なければ寂しい」と言われるような人生を送りたいな。どんな学歴があろうと、どんなに財産があろうと、どんなに出世しようと「あの人が亡くなって良かった」と言われるような人生つまらない。一体、どうしたら良いのかという問題にぶつかりました。
今、日本全国で多くの人々がこの問題にぶつかっております。バブルがはじけて良かった。先程のセネガの言葉、「50、60歳になって考えるのは遅い」と言いましたが、私は「待ってくれ、80、90歳」と言いたいんですよ。「人生長生きの保証はない。仕事に追われ、生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、『時既に遅し』ではないか、人間の死ぬということを忘れた誠に愚劣人生ではないか」2000年前にローマの哲学者セネガが書いていますが、「何のために生きているの」。
幾分ボランティア活動に興味が出てき社会貢献の必要性を認識し始めた時に、少年野球大会があって、始球式は知事がするからアメリカ国歌を歌ってくれと言われ、その姿がテレビで取り上げられ、新聞にも出るようになって、それから後には仕事も上手くいくし、会社の業績は上がるは、会社内の雰囲気も良くなったというように一変してしまいました。社会貢献は長い目で見れば企業の投資になるという論理が米国の企業のなかにしっかり根付いていることで、企業は経常利益の1%位をボランティア活動に使うのがアメリカの常識になっているのです。会社人だけではなくて、社会人の顔を持たなければ、定年後には全く役に立たない人間になってしまう。だから会社はそういう時間を社員に与えるということも大事であることを知ったわけであります。
そして、帰国したら丁度フィンランスロビーのブームが起こり始めていて私もそれについての本を書いたりしていましたが、日本人の多くは社会貢献を何処で何をしたら良いのか分からないというのが現状なのです。色々な問題が出てきて生涯学習の中にもボランティアというテーマが出てきて東大病院でのボランティアを募りました。ボランティアはあくまでも個人の自由意志が前提になっていますし、これは第二の仕事であると訴えております。
ボランティア活動は今迄の日本人の考えは、無料の奉仕であるとのことが根底にありましたが、必要な経費を頂いても必要な喜ばれる仕事で貢献できることが優先されます。実費ボランティアということも許されます。
ボランティア活動に至るには色々な問題意識を乗り越えて行うものです。この短い時間に理解を頂くことはなかなか難しいことです。私の著作を良く読んでボランティアの意義をお考え頂くことも一つの方法であります。言葉が足りなくて申し訳ありませんでした(了)。
ボランティア活動は、これまでの日本人の既成概念でなく、より幅広く、社会貢献するための人間の第二の仕事であるということが先生の講演で良くわかりました。何しろ限られた時間の中で先生は訴えたいことがかなりあったと思います。結局、本当にアウトラインしかお話し出来なかったことが、講演後に先生のご著作をみてよく分かりました。
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