八木義郎先生を偲んで
いわて医師協同組合の初代理事長、八木義郎先生が昨年9月30日に98歳の天寿を全うし、ご逝去なされました。
八木先生は、大正2年の生まれで、盛岡中学、山形高等学校を経て新潟医科大学を卒業されました。整形外科学を専攻され、その後弘前歩兵第31連隊に入隊、陸軍中尉、陸軍大尉となり、昭和20年の終戦に伴って復員され、岩手県農業会盛岡病院勤務の後、昭和24年盛岡市大工町で八木外科医院を開業されました。爾来、盛岡市医師会理事、副会長を経て、昭和39年4月から昭和47年3月までの8年間、盛岡市医師会長に就任されました。岩手県医師会では昭和57年から59年まで会長をお務めになりました。会長任期中の昭和46年に雫石上空で起こった全日空機と自衛隊機の衝突事故の際に、八木先生は医療活動の陣頭指揮をとるなど、大活躍をされた事が思い出されます。
いわて医師協同組合では、平成2年11月の創立時に理事長に就任し、卓越した指導力を発揮されました。当時、医師国保組合の傍らで共済会として、会員及び家族並びに従業員の福利厚生事業を展開していたのですが、さらにそれに生命保険・損害保険事業や購買事業を加えた「いわて医師協同組合」として分離独立させた業績は、高く評価されております。先生は医協十周年記念誌に寄せて「医師たる者は経済的行為には手を付けるべきに非ずとの崇高な精神を持つ開業医が少なからずあった事から、医協設立構想が一時頓挫したこともあった」とご苦労を振り返っておられます。その後15年にわたり、八木先生はいわて医協の相談役として理事会にもお元気なお姿を見せ続けておられました。
先生が趣味のゴルフやマージャンに興じられるお姿は、90歳を過ぎるまで続き、我々に対してもニコニコとして話しかけていただき、本当に心が和む思いがいたしました。その八木先生がここ数年、お姿をお見せにならず、心配していた矢先の訃報でした。
陸軍大尉の風格を備えたお人柄と、心の底からの優しさに触れたその瞬間、我々後輩は皆すべからく敬意を抱いたものでした。
いわて医協は今年満20歳を迎えますが、今までの八木義郎先生のご意思をついで今後も組合員のため、仕事を続けてまいる所存です。
最後になりましたが、ご子息様をはじめご家族様の益々のご繁栄をお祈り申し上げます。
いわて医師協同組合 副理事長 岩 動 孝