災害医療現場レポート(1)
陸前高田市を訪れて
いわて医師協同組合 常務理事 菅 原 克 郎
月刊雑誌「新潮45(23年11月号)」に、奥様、ご長男、義父母の4人と、結婚したばかりの地元秘書を津波で亡くし、ご自身も仮設住宅に住んでいるという民主党の衆議院議員・黄川田徹氏が『すべてを失って、考えたこと』という文章を投稿されていた。結びの部分に「‥陸前高田は、今、一面更地のようになっています。その風景を毎日見ているといつの間にか、この街はこういう街だったのかな、と錯覚を覚えることがあります。緑の雑草だけは元気に生い茂り、まるで耕作を放棄した雑種地だったのかと‥。しかし、こんな街のままでいてはいけないと、奮い立つような気持ちも直ぐにこみ上げてきます」と。黄川田議員の心の中は余人には窺い知れないほどの悲しみで満ちているのだろう。「これからの先生のご活躍が亡くなったご家族への大きな慰めになるだろう」などという皮相な表現しか出来ない自分の能力が情けない。
県医師会から「県医師会高田診療所」の取材の命があり、平成23年10月2日(日)午前8時半、県医師会事務局・小原勝之君の運転する車で出発、約2時間半で陸前高田第一中学校にある岩手県医師会高田診療所に到着した。診療所内を写真撮影。皮膚科・耳鼻科・小児科の患者さんが多く、陸前高田市内でその診療科が少なく、市の広報を見て受診している患者さんが多かった。
仮設住宅から可愛らしい3歳の女児を連れたお母さんは「3日前、発疹があり他の病院を受診しましたが、今日も発疹が治まらないので、小児科、皮膚科の先生がいらしているということなので来ました」。広田町から耳鼻科を受診した77歳の女性は「頭痛があり、耳が原因でないかと思って受診しました。耳鼻科のお医者さんは県立高田病院には月に1回、県立大船渡病院は週に1回ですが家から遠いので、広報で見て受診しました。高血圧・高脂血症は広田診療所で診てもらっています」と、この診療所では忙しい先生は昼食も摂れず診療続けざるを得ない場合もあるとのこと。季節によっては患者さんの受診動向も違ってくるのと被災地医療という状況も加味すると現在の医療体制を縮小することは出来ないと思う。
先生方、職員の皆さんのお邪魔にならないようにと診療所を後にして、旧市街地に出てみた。枠組みだけの大きな鉄筋のビルは廃墟化して残っているが、ほとんどが更地状態あり、県立高田病院も建物は残っていたが、窓ガラスは3階部分までは割れて汚れており、4階部分は残っているようだが、1階のロビー部分を覗いて見ると天井から多くのコードが垂れ下がり、中は瓦礫のままである。しかも、玄関の前には雑草が生い茂っていたが、嘗て病院職員が丹精こめて植えた花壇の中のからだろうか、生命力があった花が一輪咲いていた。それが逆に物悲しく感じられた。
嘗ての賑わいのある街並み、学生時代に海水浴で訪れた“名勝 高田松原海岸”の面影を偲ばせるものは見られない。以前の海岸の端の方に松の木残骸が山積みになっていた。何年か前に、岩手県医師会総会の会場であった「キャピタルホテル1000」も、建物の下まで海水が来ており、以前は確かホテルの前に道路があって、そして防波堤があって、松原海岸があったのに‥。かなりの地盤沈下であることがわかった。そして、以前は広く大きな街並みと思っていた市街地は更地状態になると狭く感じる。陸前高田市が復興のビジョンもなかなか立てられないことも理解できたし、県医師会高田診療所の役割も長期戦を覚悟しなければならないと思う。
陸前高田市内を後にして、国保広田診療所を訪れた。広田診療所は少し高い土地に場所を移し、仮診療所で診療をしているようだった。隣には仮郵便局があった。その後に被災した旧広田診療所を訪れた。玄関両脇には立派な大きなシュロの木が植えられていたが、診療所内は津波で泥まみれた書類・本・機器が片付けようがないほど散乱していた。外へ出ると窓ガラスの上の部分に津波の高さを記したような横の泥のラインがあり、一輪のバラの花が津波の力を跳ね返したかのように誇らしげに咲いていた。診療所は少し低いところにあるが、その傍の石垣の上に道路が走っているのだが、その道路の20p位下まで津波が来ていたようだったが、何センチで命を分けたこともあったのだろう。
その後、大船渡市内に向かった。大船渡市内は、海岸の低地は被災したようだが高台部分も多い地形のようで、陸前高田市のように壊滅状態ではないようであった。
テレビに良く登場していた避難場所となっていた「リアスホール」の傍を通って帰宅となったが、午後4時、遅い昼食を遠野市内で摂って、幾分気持ちを持ち直して、突然の“涙雨”のなかを帰宅の途につき、午後6時頃に盛岡に着いた。
岩手県医師会高田診療所は、地域住民に頼りにされていることをひしひしと感じた。岩手県医師会・石川育成会長は「今後、起きるといわれている大災害の地域医療の在り方のモデルケースになる」と話されていた。
(追)、県医師会高田診療所を受診していた女児と母親の写真を撮影し、直ぐにプリントアウトして仮設住宅宛てで送った。母親からの丁寧な礼状には「ありがとう…私のように働いているお母さん方にとって、日曜日に開いている診療所は本当に助かります」と書かれ、3歳のお嬢さんの絵が添えられていた。
岩手県医師会高田診療所
廃墟化した県立高田病院
瓦礫が散乱したままの高田病院内部
国保広田診療所
旧広田診療所
誇らしげに咲く一輪のバラ
(旧広田診療所)