人物クローズアップ vol.7
新しいまちづくりの構想に
医師会として積極的に提言し
真の医療復興につなげたい
大津小児科医院院長
大 津 定 子(気仙医師会)
惨状の中で気仙医師会会長を代行
昨年の東日本大震災から1年半余り経ちましたが、気仙地区の医療体制は通常にはほど遠い状況にあり、私は今も目の前のことを一つ一つ処理していくしかありません。
震災が起きた日、私は大船渡病院の整形外科の外来に患者として座っていました。その前年の秋、不覚にも階段を踏み外して右足関節を骨折、60日間の入院を経て退院し、12月より車いすながら自分の診療所で小児科診療を再開していました。あの日は大船渡病院での診察も終わり、次回の診察日を決めようとしていたところでした。そこへあの大地震です。6階建ての大船渡病院も立っていられないほど大きく揺れました。
院内は騒然とした中で緊急体制が敷かれ、駐車場はヘリポートに早変わりして重症の患者は内陸部の病院に移送されていきました。一人残された私は、杖をついて100mを歩くのも困難な状況でしたが、そろそろと移動して窓から外を見ていました。見たこともない大津波が黒々と押し寄せ、またたく間に海辺の商店街を呑み込みました。
すさまじい惨状の中を迎えに来てくれた娘の車に乗って我が家に帰りついたのは夜8時頃でしょうか。盛の駅前はがれきで埋まり、50m先まで波は来ていましたが、幸いにも自分の診療所は無事でした。
翌朝、気仙医師会の伊藤事務長さんが訪ねてこられ、街は大変な惨状であること、市や医師会から入る情報は即座に提供する旨を伝えて帰られました。ライフラインが全く閉ざされ、情報も入らない。気仙医師会の会員は多くが被災し、全員の安否が確認できたのは1週間後です。陸前高田市で整形外科を開業していた武田健会長は1週間後、村上静一副会長は2週間後に遺体で発見され、総務部長の滝田有先生も診療所・自宅が全壊して仙台で療養中とのこと。3役で残ったのは私だけです。
私は医師会長代理として被災された診療所を回って歩きました。大船渡の港町の変わりようにも驚きましたが、陸前高田市の惨状には茫然自失、高田の街にあった病院と診療所はすべて波に呑み込まれ、医療施設ゼロ地帯になったのです。未曽有の災害を前に、私は足をひきずりながらでもともかく歩を前に進めるしかありませんでした。
気仙地区は一つの医療圏
気仙医師会は、大船渡市、陸前高田市、住田町に住む医師で構成されています。会長と副会長の一人を亡くし、気仙医師会館も半壊して機能できず、日頃の医療活動はストップ。しばらくはDMATやJMATの医療活動、大船渡病院の災害医療体制が住民の健康を支えてくれました。
私は災害発生の3週間後から、普通の保険診療所として診療を再開できました。受診者のうち4割が被災された方です。現在、大船渡の開業医は大分診療を再開しましたが、陸前高田は2軒だけです。未だ復旧が進まない中で、どれくらい地元の医者が患者さんを受け入れられるのか。
そんな中、昨年の8月に高田一中の敷地内に県医師会によって仮設診療所が設置されましたが、私はなるべく地元に残った先生方の診療科目と競合しないようにお願いしました。水曜日、木曜日、土曜日の午後、と日曜日の診療で、岩手県医師会の各医会の理解とご協力のもとに、内陸の南の医師会が中心になって「オールいわて」で、支援診療を続けています。出張して下さる先生方に心より感謝しています。地元の住民から多くの感謝の声が届いています。
私は小児科医ですから、被災後、学校や保育園、3歳児、1歳半の健診も気になりました。気仙地区は一つの医療圏。せめて乳幼児健診と予防注射だけでも一緒に行うことができないか、大船渡市役所にも高田市役所にも何度も足を運びましたが不可能なんですね。結局、陸前高田市の子供たちの健診は県医師会にお願いしました。その方が被災地の子供たちの健康状態を皆さんにわかっていただけると思ったからです。
もともと気仙医師会は医師不足が続いており、気仙全体の医療体制はさまざまな問題を抱えていました。今、復興計画が進む中で新しいまちづくりの構想の中に、医療機能や医療環境の整備を気仙医師会として提言、主張していかなければならない。特にも公共交通手段の問題解決は急がれます。この災害を乗り越え、教訓にして真の医療復興につなげられるようにと、鎮魂を込めて念じている日々です。
故郷の町で小児科医として生きる
NHK朝の連続ドラマ「梅ちゃん先生」ですか? ええ、この番組だけは見ていました。少し違うところもあるな、と思いながらね。女性医師を梅ちゃん先生にたとえるなら、気仙医師会にだって数人いました。私たちの頃は医師になる女性が少なかったようですが、気仙地方には10名ほどの先生がおり、女性医師の多い地方だという印象がありました。今の時代は女性医師も随分と増えています。私は、白衣を着て医者として仕事に向かうときはあまり、女を意識しないことにしています。思ったことをズバッと言う怖い先生という評判です。私は子供のためになる好いことを言うのだから、「子供にやさしい」先生なつもりなのですが…(笑)
私が医師になるきっかけは、高校の担任の先生の勧めでした。大船渡から盛岡の高校に進学したので、その先生は珍しい生徒だと思ったのでしょう。その先生との出会いが大きかったと思います。医者になるより、医者を続けることの方が難しいです。
故郷の県立大船渡病院に約10年間勤務し現在地に開業したのが昭和54年、40歳の時です。患者さんは一日30人くらいでいいと思って始めたのですが、昭和60年代は300人近い患者さんを診ることもありました。
今の保護者は子育てがあまり上手ではありませんね。子供を褒めたり、叱ったり、かわいがったりすることが下手です。小学生を対象にした「赤ちゃんふれあい体験学習」を開いたのは、若いお母さんたちを見ていると将来が心配だったからです。幼い時に本物の赤ちゃんに接することで子供たちに命の尊さ、家族の大切さを知ってもらいたい。この体験学習も震災後は再開できずに休んでいる状態ですが。
仕事を続ける中での息抜きはお茶とお花です。茶道は学生時代から続けてきましたし、生け花は病院の玄関を花で飾りたいと考えて始めました。
最近はそろそろ引退を考えていましたが、震災でそうも言っていられない状況になりました。「先生が無事で良かった」と涙してくれた町の人たちの気持ちに応えなければならないし、復興のまちづくりに医療側から提言もしていかなければならない。なかなか計画どおりにはいかず、もうひと踏ん張りせよということでしょうか。
おおつ・さだこ
1964年岩手医科大学卒業。インターンを経て岩手医大小児科医局に入る。1969年医学博士を取得。同年9月より県立大船渡病院小児科科長。1979年に大船渡市に大津小児科医院を開設。
気仙医師会副会長(2006年4月〜2012年3月31日)、参与(2012年4月1日〜現在)、岩手県医師会学校医幹事(1993年4月〜2012年3月31日)、日本小児科学会、小児科医会、日本アレルギー学会会員。
〒022-0003 大船渡市盛町字東町11-11
TEL.0192-27-2673 FAX.0192-27-0053
【診療科目】小児科、アレルギー科
【受付時間】月・火・水・木 午前9:00〜12:00/午後2:30〜5:30 土曜日 午前9:00〜12:00/午後 休診
【休診日】金曜・日曜・祝祭日
岩手県医師会設立の高田診療所
絵本や遊具を備えた待合室
待合室の子供たちに人気のクリンクルグラス
生花は正教授の免状をもつ。院内はいつも花を絶やさない