COLUMN一灯

ふるさと

盛岡市医師会
中村・北條クリニック 中村 浩昭

長野県生まれ山梨県育ちの私が、盛岡に来て30年以上が経ち、盛岡が第二の故郷になりました。

私が生まれたのは、長野県の木曽福島という谷あいの小さな町です。その昔は中山道の宿場町として栄えたところです。島崎藤村の「夜明け前」という小説は「木曽路はすべて山の中である‥」という書き出しで始まり、「木曽節」でも有名です。旧街道沿いには関所も復元されていて、南に下ると馬籠宿・妻籠宿、北に上れば奈良井宿など江戸時代の町並みを保存しているところもあります。また、なぜか「浦島太郎」の伝説が残る「寝覚ノ床」などもあり、周囲には観光名所がたくさんあります。

みこし

母の実家がこの木曽福島にあるので、毎年お盆に両親をつれてお墓参りに行っています。昨年も行ってきました。この木曽福島には〈天下の奇祭〉として有名な水無(すいむ)神社例大祭の「みこしめくり」があります。このお祭りは四百年あまり続く夏祭で、毎年新しく白木の神輿を作り、その神輿を地面に落とし、さらにタテ・ヨコに転がし、バラバラに壊れるまで続けられる壮観なお祭りです。言い伝えによるとこのお祭りは、その昔飛騨高山に近い一宮で百姓一揆が起こり、村の氏神様の祀られている水無神社が戦火に巻き込まれた時、木曽から山稼ぎに来ていた「宗助」と「幸助」の二人が火の中に飲み込まれそうになった御神体を木曽へ運び出し、たどり着くまでの出来事がルーツとなっていると言われています。そして現在、この故事にならって「そうすけ・こうすけ」と掛け声をかけて神輿をまくり(転がし)ます。写真はお祭りの後奉納されていた神輿です。赤ん坊を抱いて神輿の下をくぐらせると、その子の一生は健康で災難にあわないといわれています。また、壊れた神輿の断片を屋根に上げると、災難除けになるともいわれています。我が家の長男と三男も神輿をくぐらせてもらいました。ちなみにこのお祭りは毎年7月22日、23日に行われます。

元気にたばこを売っていた祖母が亡くなり、夏休みには毎年遊びに行っていた旅館のおじさんも亡くなり、この旅館もいずれ取り壊されることが決まっています。母の一番上の姉が今年3月で100歳になります。自分の孫を神輿の下をくぐらせることはかなわないかもしれません。人も建物も変わったり無くなったりして、徐々に木曽福島にいくこともなくなると思います。でも故郷はいつまでも心の中に残っています。自分の身体が続く限り生まれた町には行きたいと思っています。みなさんの故郷はどうなっていますか?

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