あとがき  4月から朝のNHK連続ドラマ「どんど晴れ」が始まった。盛岡市内の老舗旅館を舞台にしているとのこと。私はこれまで「どんど晴れ」という盛岡弁を聞いたことがなかった。「そんな盛岡弁は無い」と女房に言ったら「知らなかったの!盛岡人じゃない」と顰蹙を買ってしまった。“昔話”をした後に「どんど晴れ、どんど晴れ」と結ぶことで「めでたし、めでたし」という意味であることを初めて知った。
 私は、県医師会報の編集者の一人として平成19年3月15日に日本医師会館で行われた都道府県医師会広報担当者協議会に出席した。今年度の日本医師会の広報戦略として「イメージアップ作戦」を最重要課題として取り上げていたが、それも「お医者さんはベンツに乗って、奥さんは毛皮を身にまとって」というようなイメージを払拭したいとのこと、しかし、最近の患者さんは医療機関の内情をよく知っていて「お医者さんも大変ですよね」と同情の声もちらほら聞こえてくる。到底ベンツ云々というようなことは無い。勤務医の先生方は過酷な労働条件を強いられ、思い切って開業すれば厳しい経営状況に悩まされる。「行くも地獄、引くも地獄」という状況である。すべては小泉改革に始まった「低医療費政策」が加速させたのである。医療機関の経営が苦しくなるとオタスケマンとしての「いわて医協」の活動も正念場となる。眞瀬理事長は常に堅実な運営を心がけ、将来への展望も素晴らしい。この平成19年度の最後には「どんど晴れ、どんど晴れ」と締めくくることは間違いない。

菅 原 克 郎

岩手の四季 「賢治詩碑」

岩手の四季 「賢治詩碑」

 宮沢賢治は大正15年(1926)3月に花巻農学校を退職し、4月には宮沢家の別宅のあったこの場所に移り、独居自炊で農耕生活をはじめ、「羅須地人協会」を開設して農民に化学・土壌等の講義をした。この詩碑は、昭和11年(1936)年に建てられ、高村光太郎の揮毫で「雨ニモマケズ」の後半が刻まれている。賢治詩碑の第1号である。