あとがき

大震災から1年、被災県に暮らしている者にとって、内容の濃い1年間であったと思う。2月に復興庁が発足し、復興大臣に就任した県選出の平野達男参院議員、これまでの言動から被災地の復興が加速されるものと大いに期待していた。大臣に就任した途端、行動力も口数も少なくなった。「やはり 野におけ‥」ということか?

4月1日、第126回日本医師会代議員会を傍聴してきた。会長選挙は3氏が立候補を表明し、熾烈な争いになるとみられていた。日医代議員会議長の席は、選挙の10日前の時点では、岩手県医師会・石川会長は安泰という情報が飛交っており、安心していた。石川会長は被災地の医療復興の現状を日本医師会で直言が出来る立場の重要性を考慮し、今回だけどうしてもという気持ちが強かったのであろう。しかし、選挙直前になって日医代議員会議長席も会長選の票の獲得ための裏取引とする選挙手法が取られてしまった。選挙は恐ろしい。石川会長はマスコミに噂されていた「大義無き!闘い!日医会長選挙」の狭間で「大震災からの被災地の医療復興」という大義が持ちながら、三選を阻まれてしまった。今回の日本医師会の選挙は、永田町の論理と同様、被災地の復興を置き去りにして政局のみにとらわれてしまったのである。これから日本医師会の会議の中で「被災地の医療復興」を生の声で伝えられる大きなパイプが断たれたように思う。私見であるが、福岡県医師会の横倉新会長は、高い確率で起こるとされる東京直下型地震、東海地震、東南海地震が発生した際には、福岡県からどのようにして上京して日本医師会館から各地の医師会の指揮を執るのであろうか?毎日のように地震情報に踊らされている東北の地にいる我々にとっては心配である。しかし、人間にとっては忘れることも生き延びるための作業の一つかもしれないが、「東日本大震災・大津波」の辛い記憶は風化させてはならない。そのつもりで理事長から巻頭のお言葉をいただいた。

いわて医師協同組合は、この厳しい環境の中で大手企業でさえ軒並みに最悪の決算を示しているというのに、前年度並みの実績を上げられたということは将に奇跡である。これも陣頭指揮に当たられた眞瀬理事長と他の役職員(私を除く)のご努力の賜物であろう。もちろん、組合員の皆様のご支援が最大の功績であることは間違いないが。

菅原 克郎

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