人物クローズアップ vol.6
未曾有の大災害の中で灯し続けた医療の明かり
過去の津波の教訓を生かして日ごろから防災対策に力を入れる
後藤泌尿器科・皮膚科医院院長
後 藤 康 文(宮古医師会)
地域の人も後藤医院に避難
東日本大震災に見舞われた昨年の3月11日、私はいつものように診療中でした。尋常ではない揺れに、これは津波が来ると直感しました。揺れが収まると、市の防災無線は4mくらいの津波が来ると避難を呼びかけていましたが、カーラジオで津波の大きさを知った町の人たちが逃げ回っているのが見えました。急を察知した私は患者さんに慌てて外に出ないように厳命しました。うちの病院は海から400mの所に建っていますから、万が一に備えて「震度7、20m以上の津波」に耐えられる構造です。近所の人たちにも冗談交じりに「地震津波のときはうちに来い」と言っていたので、避難所である宮古小学校には行かず、当院に逃げ込んできた人たちもいました。
全員を上に避難させ、私が最後に1階を見回ったときは、足首まで水が来ていました。2mを超える水が院内に入ってきたのは、それから間もなくのことです。患者さんと病院関係者、近所の人などその日の避難者は200名ほどになりました。夜は救急患者用のベッドや4階の看護師の更衣室まですべて開放し、ありったけの毛布や布団を出して休んでいただきました。
一番心配なのは透析中の患者さんです。当院では51台の器械を3カ所に分けて配置していますが、震度3以上の地震のときは看護師がすぐに一人一人の患者のベッドにつくように普段から取り決めています。あの日も全員がベッドのそばについて機器を支えながら、「大丈夫ですよ」と患者さんに声を掛けていました。
停電になってもすぐに自家発電が作動しました。必要な治療は続けられましたが、テレビが大きな津波が来ると伝えていたので一旦血液の回路を戻し、全員を3階に避難させました。
3点セットで防災対策を万全に
院内も1階が水没し、一歩も外にも出られず不安な一夜を明かしましたが、情報はテレビから得られました。自家発電があったからテレビも見られたし、暖房も使えた。街全体が真っ暗な闇の中で、うちの病院の明かりだけがポツンと灯っていたと、後で皆さんから言われました。
普通、自家発電装置は巨大で重いため、地下に置いていますが、6年前に新館を建設する際に私はあえて4階の屋上に設置しました。給水タンクは地下、地上、屋上の3カ所に、さらに重油のタンクも設置しました。カルテのデータを保管するパソコンのサーバーも以前から4階に置いています。装置が屋上にあれば災害時に水をかぶらない。経費は倍近くかかりますが、津波に備えるにはそうするしかないのです。
私がここまで防災対策に力を入れるようになったのは、阪神・淡路大震災の後、透析学会の勉強会に参加し、神戸の先生方からアドバイスを受けたからです。先生方は学会で来県すると田老の防波堤を見にいらっしゃる。10mの万里の長城を見て、「岩手は過去に2度大津波が襲来している。その例からみるとまだ足りない。20mのお城は必要じゃないか」と言われました。当院は過去の災害の教訓を生かした防災ビルであり、電気と水と油は3点セットの防災対策と考えています。
運がいいことに、震災当日は地デジの切り替えで電気工事の業者が入っていたし、水道工事の業者や薬屋さんもたまたま来ていました。すべて医療に欠かせないライフラインであり、未曽有の惨事の中で彼らにも大いに助けられました。
感染症対策も考えた防災医療
地震津波から一夜明けた早朝、私はすぐに市役所と水道局、消防署に出向いて水の確保をお願いしました。自衛隊も快く協力を約束してくれました。透析には大量の水を使用します。常日頃から後藤医院では透析治療を行っていることを理解していただき、関係機関にお願いしてあります。
お陰様で翌日から透析を再開することができました。国道45号線は不通で連絡がつかず、盛岡や久慈の病院に行かなければならなかったという患者さんもいましたが、口コミで次第に広がったようです。「がれきを乗り越えてきた」「後藤医院がやっていてホッとした」と涙を流して喜ぶ患者さんもいました。
私が宮古に戻って後藤医院を継いだのは医師になって10年目のことでした。県立中央病院の勤務時代に岩手で初めて透析治療を開始した経験を生かして後藤医院で透析を始めました。現在、うちの病院には山田町も含めて約200人の透析患者がいます。宮古病院と岩泉済生会病院には約50人と宮古医療圏には250名の患者さんがいます。その方たちの安心のためにも災害時の拠点病院が要る。私が防災対策にこだわるのはそのためであり、当院では震度5以上の地震や火災が発生したら近くの職員は駆け付けることなど、独自の防災マニュアルも作っています。
最近は感染症対策にも力を入れ、患者が出たら素早く対応できるように出入り口を3カ所設けています。湿疹を治しに来てみずぼうそうになったら困りますからね。開業医でそんな道楽をしている人はいないと思いますが(笑)。これは20年前からお付き合いしている中国の病院から学んだことです。
宮古で開業医になっておよそ40年、いつも患者さんに教えられながら勉強してきました。以前は一人で300人以上を診ていましたが、今は当院の医師も4人体制になり、週1回は岩手医大の先生も来てくれます。地域医療に携わる私たちは、逃げることができない。地域の人たちの信頼を裏切ることができないのです。だから常に患者さんと目線を同じくして、漁師の人ともお役人とも商売の人たちとも仲良く付き合うようにしています。
医師協の組合員の先生方には、命が大事であれば、国や県の補助を使ってでも防災対策に力を入れてほしいと申し上げたいですね。
ごとう・やすふみ
1962年岩手医科大学卒業。1969年医学博士。岩手医科大学分院泌尿器科科長、岩手県立中央病院泌尿器科勤務などを経て1972年1月より宮古市の後藤医院勤務。同年6月、父の跡を継いで院長に。1983年より現在地に後藤泌尿器科・皮膚科医院を開設。現在、日本透析医会岩手県支部長、岩手医科大学医学部非常勤講師、宮古海上保安署検案医など多方面で活躍。
〒027-0083 宮古市大通1丁目3-24
TEL.0193-62-3630 FAX.0193-64-1105
【診療科目】外科・皮膚科・泌尿器科・性病科
【受付時間】月〜金 8:30〜11:30/14:00〜17:00 土曜日 8:30〜11:30
【休診日】日曜・祝日
震災直後の院内の様子
屋上の自家発電装置
屋上の給水タンク
1階の重油タンク
院内に設置されている津波浸水高を示したプレート