エリア13

地区だより(10)

猿ケ石川

気仙医師会 山 浦 玄 嗣

猿ケ石川 山さ重なる山山山の 遥がな遠野の六甲牛。河童の遊ぶ緑の深み、曲がり曲がって猿ケ石。ひと筋ァ 薬師岳がら流れ出し、いまひとづァ 臼見山の山襞に発し、もひとづァ 六甲牛の沢水ゥ集べで、羽黒岩の淵に合わさる 水美しい猿ケ石。上郷、遠野、綾織ど、 曲がり曲がって山の中。ぐねぐねぐねぐね、山の中。増沢、宮守、岩根橋、ぐねぐねぐねぐね、岩ァ?む。イーハトーブの谷間がら、緑、ひろびろ、花巻平野。蛇紋山地の野ォ抜げで、北上川さ身ィゆだね。花巻、北上、金ケ崎、水沢、前沢、平泉、一ノ関がら谷ィ抜げで、遥がな南の宮城県。登米郡、桃生、石巻、やっと飛び込む大海原。いや、何と馬鹿な川なもんだれ。俺だら、まっすぐ 釜石さ抜げんがァ! ど、から数ゥ吠える 気仙衆ァ語った。


猿ケ石川。岩手県遠野市から西に向かい、宮守村、東和町を経て、花巻市に入り、北上川に合流する川。この名もアイヌ語由来であるが、この川筋には特にアイヌ語地名が密集しているので、地名研究家の間では有名である。

六甲牛。遠野市の東にある高い山。

イーハトーブ。宮沢賢治の童話に出てくる架空の国の名。「岩手」のことだとされている。

蛇紋山地。宮沢賢治の詩によく出てくる地質学上の名前で、蛇紋岩からなる花巻近辺の山々のこと。

馬鹿な川。気仙衆のこの悪態には歴史的文化的背景がある。遠野は文化的なところとして気仙衆に尊敬されてきた。もっとも、戦国時代には気仙衆はしばしば遠野を侵略して町を焼き払ったことがあり、江戸時代には越境して遠野分の金山を掘りまくるなどの悪行を重ねているので、気仙衆が尊敬するほどには遠野衆は気仙衆を尊敬しているとは言えまい。明治・大正・昭和の戦前、中学に進学したい気仙の若者は、気仙には中学校がなかったので一ノ関か遠野まで行かなければならなかった。しかし、憧れの遠野に行くには険しい北上山地の山々を越えなければならない。もし猿ケ石川が遠野から最短距離で釜石に抜ける川であったら、川沿いに遠野に行くことが出来るわけで、どんなに楽であろう。そうした思いを込めての悪態なのである。

から数。「から」は罵りの接頭語。「数」は「文句、不平、抗議」のこと。「吠える」は「言う」を罵って言う表現。

語った。ケセン語では「言う」を「語る」という。

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