医師会のオアシス
一関市医師会
理事 蕎麦田 英治
一関市医師会 先人祭(於 祥雲寺 建部清庵顕彰碑前)
一関市医師会行事に、都会のオアシスならぬ医師会のオアシス的存在として「先人祭」があります。長澤文龍(故人)先生から提案があり、平成17年5月に当時の佐藤重雄会長が音頭を取り初めて開催されました。
祥雲寺の千坂芳覚住職
先人祭風景
歴史を紐解きますと、一関藩は「民間備荒録」「備荒草木図」を著し、民衆を飢饉から救おうとした建部清庵(二代目由正)、「蘭学階梯」をはじめ多くの著書や訳書を残し、日本の蘭学の発展に寄与した大槻玄沢、「存真図腑」を著した佐々木中沢、眼球の解剖図「眼目明弁」で有名な衣関甫軒・順庵など多くの偉(医)人を輩出しております。天明5(1785)年には一関藩医16名により東北で3番目の人体解剖が行われました。解剖に参加した医師達は感謝の念から供養碑を建てました。「豊吉の墓」と言い、日本で二番目に古い貴重な供養碑です。とても地方の小藩とは思えない気概と躍動感を感じます。そして、その情熱は現在まで脈々と受け継がれています。これら医学の発展と住民の健康維持に寄与した現在までの先人先輩方を称え、後世の励みとすることを目的に企画されたのが「一関市医師会先人祭」です。開催は隔年で、開催場所は医師会が建立した建部清庵(祥雲寺)、大槻玄沢(龍澤寺)、衣関甫軒・順庵(瑞川寺)の顕彰碑及び解剖供養碑「豊吉の墓」を順番に回ります。
この度、第3回目の先人祭が、平成27年5月28日午後1時から祥雲寺の建部清庵顕彰碑の前で厳かに執り行われました。屋外での行事のため空模様が心配されましたが、空は一面雲に覆われていたものの挙行中は持ち堪えてくれました。先人祭終了後に霧雨が降り始めましたが、法要につきものの偲び雨かと思われました。開会の辞のあと小野寺威夫会長の挨拶があり、過去帳に平成27年1月5日にご逝去された本多能久先生の御名前を記した旨の報告がなされ献花が行われました。その後、祥雲寺の千坂芳覚住職の読経に合わせ出席者による焼香が行われ思い思いに先人を偲びました。千坂芳覚住職から先人祭の意義についての講話があり、皆で写真に納まり先人祭は終了しました。命の尊さを考え、医療の原点を見つめ直す絶好の機会となりました。
普段、一関市医師会員は、診療に加え、学術講演会や各種研修会、地域住民への医療啓蒙、健康診断や予防接種事業、看護学校の運営や講義、行政や地域団体との共同事業、度重なる部会や委員会など目まぐるしく動き回っています。先人祭は、そのややもするとオーバーヒートしそうな心と身体を優しく冷やす清涼剤ではないかと思っています。