知っているようで実はあまりよく知らないこと、 よくあるのではないだろうか。
6月の、 とある日の新聞に2面にわたり掲載されていたわが紫波町出身の野村胡堂氏。
氏については、 あらえびすのペンネーム、 新聞記者、 音楽評論家、 そしてライフワークともいえる
『銭形平次捕物控』 の著者。 とまあ、 おおよそのことは知られてはいるものの、
その知名度においては残念ながら同県出身の文化人に及ばぬところがあるのも又事実のようである。
私も新聞を見て、 ふと 「そういえば・・」 と、 紫波町に 『あらえびす記念館』
が出来る頃、 どこからかいただいた冊子があったのを思い出し開いてみた。
改めて読んでみると意外と (やはり) 知らないことがあるもので、 旧制盛岡中学時代に同人誌に掲載した小説を金田一京助が読み、
「私にはこんな美しい文章は書けない」 と作家になるのを断念し言語学へとすすんだことや、
石川木の作品が当初 「おそろしく下手くそ」 だったことなど面白いことが書かれてある。
だが、 とりわけ心惹かれたのは、 胡堂の妻ハナについてのくだりである。
胡堂と同じ紫波町彦部村に産まれ、 日本女子大に学んだハナが、 胡堂の求愛から結婚に至る10年の歳月を迷い無く過ごしたのは、
胡堂とハナの強い信頼関係があってのことだろう。
ハナは、 明日炊く米が無くとも 「夫には聖い火が燃えておりますもの」 と言い、
新聞社の給料のなかから親の借金を返済し、 安価ではないレコードや本を買い続ける胡堂に嫌な顔を見せることなく、
母校日本女子大付属高女の教壇に立ち生計を支えてゆく。
二人は一男三女をもうけたが、 うち三人の子が早世する。 当時は親より先に子が逝ってしまうことが珍しい時代でも無かったろうが、
子を失う親の悲しみは計り知れない。 しかし、 そんな辛さを抱えながらも前に進もうとする胡堂。
そして、 それを常に明るく支え続けたハナを文中では 『比類無き女性』 『希有の女性』
と結んでいる。
世の中には大成しても家庭に恵まれず一生を終える、 とかいう話が多い中、
堅い絆で結ばれた幸せな夫婦が歩んだ豊かな人生だったのではなかいと、 何とも心がほんのりした。
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