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全国医師協同組合連合
第17回購買担当職員研修会

日 時:平成17年6月11日(土)〜6月12日(日)
場 所:ホテル東日本

 6月11日(土)午後4時から、ホテル東日本盛岡3階「鳳凰の間」で、「全医協連」の永井龍行会長、常務理事、理事、小西英夫事務局長、事務職員の方々、 日本全国、沖縄県から北海道までの約120名余の多数の参加者で開催された。
【講演】
みちのく「岩手を語る」
〜岩手の歴史と文化を見る〜
(要 旨)
 講師:郷土文化研究所「盛岡」
所長 吉 田 義 昭 氏
 約三百十年前の江戸時代に松尾芭蕉が深川からはるばる杖をついて岩手県平泉に来られ、その作品は「奥の細道」として世に紹介されました。帰りは木曽路から名古屋、大垣を経て故郷の伊賀上野のルートをもって完成した大変な大旅行でありますが、盛岡までは来ておりません。途中吟行を重ねたり、土地に滞在したりしながら平泉に来ております。
 奈良・平安の時代、福島県から津軽海峡までの広大な面積が「陸奥(むつ)の国」、別名が「陸奥(みちのく)」でありました。最果ての辺境の地で大和民族と違う「蝦夷」と呼ばれ、1200年前にやっと律令政治に取り込まれ開発・経営が仙台に国府が開かれ、秋田に出羽の国の国府が開かれました。地方行政機構が出来つつありましたが、岩手県に中央政府の影響が及ぶようになったのは、9世紀の初めであります。坂の上田村麻呂が桓武天皇の命を受けて東北地方の民と交渉し、刃向かう者は弓矢で、恭順の意を示すものは捕虜の「俘」という言葉「俘民」として治め、盛岡付近は志和と呼ばれていましたが「志和城」が建設されました。
 この辺境の地にもやがて新しい時代が開けます。今年のNHK大河ドラマの「源義経」です。全国的に「源平」に対しての関心が非常に強くなっております。
 平泉を作った初代藤原清衡、2代目が基衡、3代目日秀衡であります。「前9年の役」という東北地方では歴史的な大事件がありました。坂の上田村麻呂による中央政府の東北統治の過程で阿部氏が岩手の領地として治めていましたが、中央政府との軋轢が生じ前後9年間に渡る大戦争であります。その戦闘の朝廷方の将軍の八幡太郎義家が陸奥の地に来まして盛岡駅の北側にある厨川の柵で阿部氏が滅亡しました。この時に、乳飲み子であった藤原清衡は命が助かりましたが、阿部貞任とその一族の殆どが殺された。弟の一人宗任は逮捕され京都に送られ、四国伊予の国から、更に九州の福岡に流され生涯を終えました。故安部晋太郎氏(安部晋三氏父)が盛岡へ来た時、この盛岡は安部氏ゆかりの地であると厨川まで来ております。九州、四国の安部姓はこの阿部貞任の子孫であるとの説もあります。その戦火で死んだ人の供養のために成長した清衡は平泉の地に中尊寺を興し、金色堂を建立した。藤原3代で栄耀を極め、義経の時代につながり、義経は4代目泰衡の夜襲にあって平泉で生涯を終えたという通説ですが、英雄不滅説があり、岩手から青森竜飛岬へて蝦夷地に渡り、ジンギスカンになったという話まであります。
 約400年前、現在の盛岡地方から青森県の地までは、盛岡にお城を構えたのが南部氏という豪族です。秀吉によって盛岡に築城を許されて以来、江戸時代260余年、明治ご維新まで続いたのが南部盛岡藩です。このことは日本の最南端の鹿児島島津藩とあり方は同じでありましたが、その後の経済・政治の面では大きく違ってしまいました。鹿児島は独自の発展をした雄藩でありましたが南部藩は20万石の外様大名です。
 南部藩の南部信直公が盛岡に居城を構えたのは、北上川の利便性による海路江戸に向かう水上交通は、奥州街道を利用する陸上交通より多くの物資を輸送出来たからで御蔵米や産物(呉服・馬・反物・カタクリ・鮭・鱈・漆・干しアワビ等)を帰りは古着・雑穀・砂糖が運ばれてきた。物資の流通は文化の流入でありました。
 江戸末期に庶民の人材育成のために藩学校、明義堂が開校。慶応2年には校名も作人館に改められ、幕末には洋学を中心とした日新堂が開校し、八角高遠、大島高任は、日本で最初の溶鉱炉を作成した。後年、藩学校に学んだ者から原敬、郷土史家の新渡戸仙岳らが輩出しました(了)。

 以上、紙面の都合で講演の内容の一部を記したに過ぎない。歴史の裏面についても話が及び参加者の笑いを誘いながら多岐多面に渡る内容であった。再度機会を作ってお話を聞きたいと思った。
【懇親会】
 同日午後6時30分から、同ホテル3階「鳳凰の間」で開かれた。眞瀬 靜いわて医師協同組合理事長から「開催地岩手県を代表して、永井会長はじめ全国医師協同組合連合役員の皆様のご来盛を感謝します。清流が流れる盛岡の美味しいお酒とお食事を楽しんでください」との歓迎の挨拶があり、永井全医協連会長から「このような立派な会の開催にご尽力いただきましたいわて医師協同組合の皆様に感謝します」と挨拶があった。丹羽 脩全医協連副会長が「今年は私の地元の愛知県は、万博、トヨタの好業績に支えられて国内で唯一と言ってもいいほどの好景気です。万博も様々なパビリオンがあり充分楽しめますのでいらしてください」との挨拶の後「乾杯!」のご発声で開宴となった。途中に郷土芸能の“盛岡さんさ踊り”を予防医学協会職員の有志の方々よって披露され、宴たけなわの時に盛岡の名物“わんこそば大会”があり、各テーブルから代表選手が舞台に上がり、3分間1本勝負、83杯で沖縄県の方が栄えある勝利を得、永井会長から記念品が贈呈され、楽しい時を過ごしお開きとなった。
研修会二日目
 6月12日(日)午前8時30分から
 第一部
テーマ 「個人情報保護法の施行に伴う医協及び医院の対応」
AIU保険会社営業開発本部 担当課長 神埼 寿和氏
 
  1. 個人情報保護法「6つの要」
  2. 個人情報とは?
  3. 利用目的の特定と公表等
  4. 個人情報保護対策の最重要ポイント
    安全管理措置のステップ
    ○組織的 ○人的 ○物理的 ○技術的
  5. PDCAサイクル
    Plan−Do−Check−Action
  6. 保有個人データの運用
    ○第三者提供
    ○開示等請求
  7. 個人情報漏えい時の民事上の責任
  8. 個人情報の値段?
  9. 医協・医院が被る被害の試算
  10. 個人情報漏えい事故時の対応
 以上の項目について詳しく説明された。
 PDCAサイクルは、最近、竹中財務大臣が良く使う言葉であるが個人情報保護でも登場するとは、今年の流行語か。

 第二部
テーマ 「最近の医療制度改革」
〜電子化の動向・診療報酬改定での論点〜
〜薬事法改正と医療機関に求めるもの〜
〜購入サイドの法的しばりと課題〜
富士フィルムメディカル株式会社 営業本部企画部長 野口 雄司氏
 
A) 医療提供体制の変化
医療法と診療報酬の関連
医療機能の評価と医療経営の選択
二次医療圏(日常医療圏)での医療連携のモデル
独立行政法人化による購買変化
B) 医薬品薬価・特定保険医療材料の償還価格の議論
医療材料の議論の論点
包括化による新たな評価制度
内外価格差の製品群の問題点
デジタル化による医療用フィルムの現状
C) 薬事法改正が意図するもの
販売業・賃貸業の要件と注意事項
リース物件の取り扱い注意事項
中古医療機器の定義と取り扱い要件
トンネル企業の廃絶
D) 識別コードと表示コードの現状
流通コードと情報コードの運用
電子カルテでのコード利用とは
JANコードとEANコード
法制度上での要件化

 以上の項目に従って、非常に分かりやすく説明があった。企業人でありながら、企業意識にとらわれない率直な講演内容で非常に面白かった。期待した以上のものがあり、再度聞きたいと思った。
IWATE MEDICAL COOPERATIVE ASSOCIATION●No.58